2025年12月中旬、私は初めての谷川岳に立っていました。
雪山を始めるにあたって、独学の危うさは重々承知していたつもりです。だからこそ、今回はモンベルが主催する雪上技術講習会への参加を決めました。そこで待ち受けていたのは、単なる技術の習得だけではなく、装備の差がそのまま生死を分けるという、残酷なまでの現実でした。
冬眠しない登山者たち

当日は始発の電車に飛び乗りました。鈍行列車に揺られること約4時間。時間はかかりますが、新幹線と到着時間に到着できるというのは、嬉しい発見です。何より、高崎線、上毛線には車両にトイレがあり、奥多摩行きでは常に付きまとう「トイレへの不安」ないことが素晴らしい。
水上駅に到着した瞬間に違和感に包まれます。
これまでの冬の低山では、誰一人としてすれ違わないのが当たり前でした。「みんな冬の間は家で大人しくしているんだろうな」なんて思っていましたが、それは大きな間違いでした。バスもロープウェイ駅も、装備を完璧に整えた登山者たちで溢れかえっていたのです。
「みんな冬眠していたわけじゃない。戦う場所を、ここ(雪山)に変えていただけだったんだ」
その熱気に、私の心も一気に冬山モードへと切り替わりました。
三者三様の装備と、魂の「スポルティバ」
今回の講習には、いつもの登山仲間3人で参加しました。面白いことに、装備は三者三様です。
私はこの日のためにモンベルでほとんどの装備を購入、登山靴だけはどうしても譲れないこだわりがありました。スポルティバの「ネパール エボ」。モンベル製にするか最後まで悩み抜きましたが、これから厳しい雪山に向かうたびに、最高の靴を見て自分のテンションを上げたい。そんな想いから、金銭感覚を一度捨て去って購入したものです。結果、玄関にあるその姿を見るだけで通勤時の力になるほど、最高の相棒となりました。
対して友人たちは、夏のレインウェアで挑む者、夏靴に無理やりアイゼンを装着する者と、それぞれのスタイル(あるいは妥協)でこの場に臨んでいました。この装備の差が、のちに決定的な違いとなって現れることになります。
「止まれない」という恐怖

講習は、雪山での「命綱」とも言える滑落停止訓練から始まりました。
利き手での制動は比較的スムーズに覚えられましたが、本当の恐怖は「頭から逆さまに滑り落ちる」シミュレーションでした。視界が上下に揺れ、加速していく中で、咄嗟に体が反応しません。私は一度、ピックで雪を捉えきれず、そのまま滑落してしまいました。
「これ、もし本番だったら……」
背筋が凍りました。同時に、隣で訓練していたレインウェアの友人の姿を見て、さらに衝撃を受けました。彼は正しいフォームでピッケルを打ち込んでいるのに、全く止まらずにズルズルと滑り落ちていくのです。ハードシェルなら止まれる場面でも、レインウェアでは雪との摩擦や生地の剛性が足りない。装備の差が、そのまま生存率の差になることを思い知らされた瞬間でした。
前爪が刻む、新しい世界への一歩

午後は、アイゼンを装着しての歩行訓練です。家で何度も練習したはずなのに、現場の寒さと緊張の中では左足がうまくハマらないというトラブルにも見舞われました。講師の方の助けを借りながらなんとか装着。これが研修なしの本番であったら、冬山でパニックになっていたと講習の有り難さを感じました。
初めて前爪(フロントポイント)を斜面に蹴り込んだ時、世界が変わりました。
ザクッ、という重厚な手応え。ピッケルを打ち込み、つま先だけで体を支えて垂直に近い斜面を登っていく。その瞬間、かつて雑誌や映像で見た「登山家」の視界に、自分も確かに足を踏み入れたのだという、強烈な高揚感に包まれました。
登山狂いたちの「延長戦」

講習は予定より早く14時に終了しましたが、私たちの本番はここからでした。
「せっかくここまで来たんだ、行けるところまで行こう」
3人で顔を見合わせ、そのまま谷川岳の稜線へと向かいました。そこで痛感したのは、雪山が奪う体力の凄まじさです。一歩進むたびに、夏山とは比べ物にならないほどエネルギーを使い果たしていく感覚。
結局、一山登っただけで引き返しましたが、この道を6時間も8時間も歩き続けるためには、今の自分にはもっと圧倒的な鍛錬が必要だという、謙虚な事実を突きつけられました。
また来よう。撤退も含めて何度も挑戦してできるようになれば良い!
おわりに
初めての雪山は、美しく、そして厳格でした。
「レインウェアでは止まれない」という事実。現場でアイゼンが入らなくなる焦り。これらはすべて、現場に行かなければ分からないことでした。
私のエベレストへの道は、この谷川岳の真っ白な斜面から、ようやく始まったばかりです。今回の教訓を胸に、また明日から、一歩ずつレベルアップしていきたいと思います。


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